2008年06月13日
其の13 アルバイト
履歴書のことは英語で “RESUME”という…
そんなところから僕の履歴書作りは始まった。
学歴と職歴を書く。
迫力がないので趣味等も付け加えてみた。
英語で書かれていること以外大した内容でもないが
なかなかかっこよくできたので大家にチェックしてもらった。
職歴は他に無いのか聞かれたが就職経験は1度しかない。
学生時代にアルバイトしたことを言うと、それも書くように言われた。
「アルバイトが職歴にならないのは日本くらいのもの」だそうだ。
履歴書を出す店はレストランなので、ウェイターの経験等も書いた方がいいと
言われたが、そんなことはしたことがない。
飲食業つながりで言えば北海道の片田舎にある
セ○○というスナックでバイトしたコトぐらいだ。
しかし日本のスナックを英語で表現できない。
スナックはBarとはちがう…と思いつつ
Barで働いたと書くことになってしまった。
そんなところから僕の履歴書作りは始まった。
学歴と職歴を書く。
迫力がないので趣味等も付け加えてみた。
英語で書かれていること以外大した内容でもないが
なかなかかっこよくできたので大家にチェックしてもらった。
職歴は他に無いのか聞かれたが就職経験は1度しかない。
学生時代にアルバイトしたことを言うと、それも書くように言われた。
「アルバイトが職歴にならないのは日本くらいのもの」だそうだ。
履歴書を出す店はレストランなので、ウェイターの経験等も書いた方がいいと
言われたが、そんなことはしたことがない。
飲食業つながりで言えば北海道の片田舎にある
セ○○というスナックでバイトしたコトぐらいだ。
しかし日本のスナックを英語で表現できない。
スナックはBarとはちがう…と思いつつ
Barで働いたと書くことになってしまった。
2008年06月12日
久しぶりに あきらくんの深夜超特急 つづき
~オーストラリア ツアコンの面接~
いざ面接が始まるとこの女の子は大卒したての職歴無し。
しかも緊張しまくっている。
こちらはといえば、以前の仕事で学んだことを
ウソを交えて巧みに語り尽くすことができた。
不思議なもので、相手の痛いような緊張が伝われば伝わるほど
気持ちに大きな余裕と優越感が出てきた。
なんてことだ!僕の心に悪魔が…と自分でも驚いた。
結局 最後に女の子は緊張のあまり
「ツアコンになりたかったんですが、J○○で落とされたんです」
と泣きながら訴えていた。
面接官も困った様子…
『ニヤリ…面接で泣き出すとは愚かな…フッフッフッ…素人が…!』
と心の中の悪魔の囁きを聞きながら僕は面接会場をあとにした。
家に戻って面接での武勇伝を住人に話すと
皆が口々に
「お前が受かった!」「お前が採用されなくて誰がツアコンをやるんだ!」
等々乗せられたのでビールを1ダース買ってきて祝杯をあげた。
その数日後、H○○から連絡があった。
結果は不採用。
本気で殴り込みに行こうかと思った。
あてもなく途方に暮れて歩いていると、シャッターを開けているシーフードレストランがあった。
仕事はないか聞いてみると
「日本人か?7時に履歴書を持って来い」と言われ
大慌てで家に戻り履歴書を書くことになった。
いざ面接が始まるとこの女の子は大卒したての職歴無し。
しかも緊張しまくっている。
こちらはといえば、以前の仕事で学んだことを
ウソを交えて巧みに語り尽くすことができた。
不思議なもので、相手の痛いような緊張が伝われば伝わるほど
気持ちに大きな余裕と優越感が出てきた。
なんてことだ!僕の心に悪魔が…と自分でも驚いた。
結局 最後に女の子は緊張のあまり
「ツアコンになりたかったんですが、J○○で落とされたんです」
と泣きながら訴えていた。

面接官も困った様子…
『ニヤリ…面接で泣き出すとは愚かな…フッフッフッ…素人が…!』
と心の中の悪魔の囁きを聞きながら僕は面接会場をあとにした。
家に戻って面接での武勇伝を住人に話すと
皆が口々に
「お前が受かった!」「お前が採用されなくて誰がツアコンをやるんだ!」
等々乗せられたのでビールを1ダース買ってきて祝杯をあげた。
その数日後、H○○から連絡があった。
結果は不採用。
本気で殴り込みに行こうかと思った。
あてもなく途方に暮れて歩いていると、シャッターを開けているシーフードレストランがあった。
仕事はないか聞いてみると
「日本人か?7時に履歴書を持って来い」と言われ
大慌てで家に戻り履歴書を書くことになった。
2007年08月08日
其の12 ツアコンの面接
何はともあれ「住みか」は見つけることができたので次は仕事である。
さすがケアンズ、ワーキングホリデーの三大職種は腐るほどあった。
はじめは嫌だったこの三大職種も、ツアコンならちょっと面白そうに思えてきた。
ツアコンとはツアーコンダクターの略称である。
日本人の団体客を空港まで迎えに行き、ホテルや街の案内をするのが主な仕事内容であった。
噂によるとモテるらしい。
しかし、僕はこの仕事のいろんな人たちに夢を与えるトコロに興味を持った(本当)のである。
とりあえず面接の予定を入れる。
日本の某旅行代理店HI●である。
なかなか安いパック旅行を提供していることで有名な会社である。
決して若い女の子が利用してそうだという理由からではない。
本当は時給が高いと言われている大手旅行代理店J●●でやりたかったのだが
ついこの間募集が終っていたので諦めるよりほかはなかった。
面接場所へ行くとスーツを着た20代前半の女性(もちろん日本人)が神妙な面持ちで座っていた。
この子は仕事のためにスーツまでわざわざ日本から持ってきたのだろうか…?
しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。
こちらは半パンにTシャツである。
たかがバイトだろうとナメきっていた。
勝ち目がない。
まあ他にも面接者が来るだろうとのんきに構えていたが、結局は僕とこの子の二人だけであった。
さすがケアンズ、ワーキングホリデーの三大職種は腐るほどあった。
はじめは嫌だったこの三大職種も、ツアコンならちょっと面白そうに思えてきた。
ツアコンとはツアーコンダクターの略称である。
日本人の団体客を空港まで迎えに行き、ホテルや街の案内をするのが主な仕事内容であった。
噂によるとモテるらしい。
しかし、僕はこの仕事のいろんな人たちに夢を与えるトコロに興味を持った(本当)のである。
とりあえず面接の予定を入れる。
日本の某旅行代理店HI●である。
なかなか安いパック旅行を提供していることで有名な会社である。
決して若い女の子が利用してそうだという理由からではない。
本当は時給が高いと言われている大手旅行代理店J●●でやりたかったのだが
ついこの間募集が終っていたので諦めるよりほかはなかった。
面接場所へ行くとスーツを着た20代前半の女性(もちろん日本人)が神妙な面持ちで座っていた。
この子は仕事のためにスーツまでわざわざ日本から持ってきたのだろうか…?
しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。
こちらは半パンにTシャツである。

たかがバイトだろうとナメきっていた。
勝ち目がない。
まあ他にも面接者が来るだろうとのんきに構えていたが、結局は僕とこの子の二人だけであった。
2007年07月24日
其の11 土足厳禁
ケアンズでの宿探しはそれほど難しくなかった。
街のあちこちに入居者募集の張り紙がしてあったからだ。
ちなみにオーストラリアでは、ほとんどが敷金も礼金も無く(高級な部屋は違うかもしれないが…)
家賃も週払いである。
大阪出身の彼(以下ツトム)と二人で探し歩いた結果、Aus $75/wの部屋を見てみることにした。
エスプラネード通り(海岸?と平行して伸びたケアンズのメインストリート)沿いにある家である。
部屋の説明を聞くためにドキドキしながら公衆電話の受話器をとる。
ボタンに指を乗せかけた時、ふと後ろを見るとツトムがあくびをしていた。
黙って受話器を置き、小銭を彼に渡した。
しぶしぶ彼は電話をかける。
僕が聞いても完璧なまでのジャパニーズイングリッシュの流暢な発音で部屋を見たい旨を伝えた。
何とか伝わったようで、オーナーはすぐに来てくれるということだ。
先に家を見てみようと行ってみると典型的なクィーンズランダー様式
(高床式になっており、そのほとんどが一階部分を車庫にしている。
人気アニメ サザエさんのエンディングに出てくる家をデカくした感じ)で、
ちょっと住みたくなってきた。
しばらく待つとオーナーが現れた。
通常は車庫となっている一階部分を改造して部屋にしてあるようだ。
当然二階部分もあるが満室で一階の部屋しか空いていない。
ちょうど二部屋空いており、条件を聞いてみると一つがAus $75
もう一つが$85、二人で部屋を借りたら一人$55でよいということだ。
エッ!…二人で借りることができるの?
しかも $75の部屋が二人で借りても一人$55にしかならないのが腑に落ちず、
再び尋ねてみると電気代も水道代も込みだというので、安いのかどうだかは
余計にわからなくなった。
しかし、安いにこしたことはない。ツトムと同じ部屋になるのは抵抗があったが、
どうせ寝るだけの部屋である。
リビングはちゃんとあるし、わりとキレイなトコだったので早速今日からココに住むことにした。
一階部分には二部屋しかなかったので、一階のリビングは他の住人に気兼ねせず
自由に使えそうだったのも決めた理由の一つであった。
日本人魂なのか心意気なのかはわからないが、二人でここは「土足厳禁」にしようと決め
荷物を置くなり掃除機をかけ、床にゴロゴロ転がりながらテレビを見た。
床に転がるということは出来そうで出来なかったことであるので、
しばらくその幸せなひとときを味わった。
しかし、その幸せな時間も長くは続かなかった。
二階からドタドタと階段を降りる音がしたかと思ったら、
伸びたキャミソールを着た女の子たちが挨拶をしに来た。
かなりのハイテンションで折角ののんびりとしたムードはぶち壊されたが、
こちらも新人なのでそれなりの対応をする。
その女の子はココの住人の説明を始めたが、足下に目をやると靴を履いていたので
気になって聞き取れない。ツトムは小さな声で靴を脱げと言っている。
相手には聞こえていないようで、そのまま話は続いている。
しびれをきらしココは土足厳禁にしたことを説明したら、
全く理解も納得もしていないようだったが靴は脱いでくれた。
意味は理解できないものの、今後はココでは靴を履かないように言い聞かせ
貼り紙を作った。
これで一安心かと思っていたが、その1時間後には鶏の唐揚げが安かったと山ほど買ってきた。
その足下には長めのジーンズから案の定スニーカーが覗いていた。
街のあちこちに入居者募集の張り紙がしてあったからだ。
ちなみにオーストラリアでは、ほとんどが敷金も礼金も無く(高級な部屋は違うかもしれないが…)
家賃も週払いである。
大阪出身の彼(以下ツトム)と二人で探し歩いた結果、Aus $75/wの部屋を見てみることにした。
エスプラネード通り(海岸?と平行して伸びたケアンズのメインストリート)沿いにある家である。
部屋の説明を聞くためにドキドキしながら公衆電話の受話器をとる。
ボタンに指を乗せかけた時、ふと後ろを見るとツトムがあくびをしていた。
黙って受話器を置き、小銭を彼に渡した。
しぶしぶ彼は電話をかける。
僕が聞いても完璧なまでのジャパニーズイングリッシュの流暢な発音で部屋を見たい旨を伝えた。
何とか伝わったようで、オーナーはすぐに来てくれるということだ。
先に家を見てみようと行ってみると典型的なクィーンズランダー様式
(高床式になっており、そのほとんどが一階部分を車庫にしている。
人気アニメ サザエさんのエンディングに出てくる家をデカくした感じ)で、
ちょっと住みたくなってきた。
しばらく待つとオーナーが現れた。
通常は車庫となっている一階部分を改造して部屋にしてあるようだ。
当然二階部分もあるが満室で一階の部屋しか空いていない。
ちょうど二部屋空いており、条件を聞いてみると一つがAus $75
もう一つが$85、二人で部屋を借りたら一人$55でよいということだ。
エッ!…二人で借りることができるの?
しかも $75の部屋が二人で借りても一人$55にしかならないのが腑に落ちず、
再び尋ねてみると電気代も水道代も込みだというので、安いのかどうだかは
余計にわからなくなった。
しかし、安いにこしたことはない。ツトムと同じ部屋になるのは抵抗があったが、
どうせ寝るだけの部屋である。
リビングはちゃんとあるし、わりとキレイなトコだったので早速今日からココに住むことにした。
一階部分には二部屋しかなかったので、一階のリビングは他の住人に気兼ねせず
自由に使えそうだったのも決めた理由の一つであった。
日本人魂なのか心意気なのかはわからないが、二人でここは「土足厳禁」にしようと決め
荷物を置くなり掃除機をかけ、床にゴロゴロ転がりながらテレビを見た。
床に転がるということは出来そうで出来なかったことであるので、
しばらくその幸せなひとときを味わった。
しかし、その幸せな時間も長くは続かなかった。
二階からドタドタと階段を降りる音がしたかと思ったら、
伸びたキャミソールを着た女の子たちが挨拶をしに来た。
かなりのハイテンションで折角ののんびりとしたムードはぶち壊されたが、
こちらも新人なのでそれなりの対応をする。
その女の子はココの住人の説明を始めたが、足下に目をやると靴を履いていたので
気になって聞き取れない。ツトムは小さな声で靴を脱げと言っている。
相手には聞こえていないようで、そのまま話は続いている。
しびれをきらしココは土足厳禁にしたことを説明したら、
全く理解も納得もしていないようだったが靴は脱いでくれた。
意味は理解できないものの、今後はココでは靴を履かないように言い聞かせ
貼り紙を作った。
これで一安心かと思っていたが、その1時間後には鶏の唐揚げが安かったと山ほど買ってきた。
その足下には長めのジーンズから案の定スニーカーが覗いていた。
2007年07月13日
其の10 シェアメイト
ケエアンズに住もうと決めたのは、興味を持ったという理由だけではなかった。
以前、ブリスベンの宿でアイルランド人に言われたとおり、
これだけ日本語の溢れた街だったら仕事ぐらいその気になれば
すぐ見つかると思ったからだ。
いや、むしろこの街で見つけられなければ、他のトコではもっと厳しいだろうという
焦りがあったのかもしれない。
ともかく、そう決めたからにはまず住みかを探さなければならない。
安いとはいえいつまでも宿暮らしでは貯金もできない。
その第一段階として自転車を探した。
街角の張り紙を見ると「自転車Aus $85 ヘルメット付き」
(クィーンズランド州では法律で着用が義務づけられていた。)とある。
見に行ってみると18段変速のマウンテンバイクで、フリントストーンのヘルメットで
あったのでAus $75 まで値切って即買いである。
これで自分もびっくりするほど行動範囲が広がった。
この自転車に乗って街のあちこちで貸部屋の張り紙を見て廻ったがいまいちピンとこない。
しかたなく宿に戻りメシを作っていると、
「ちょっといいかぁ」と関西弁で話しかけられた。
振り向くとあまり生気の感じられない20代半ば過ぎの日本人がいた。
あまり乗り気はしなかったが返事をする。
「あの自転車兄さんの?」そうだ、と答えると
「なんぼしたん?」と聞かれたので正直に答えた。
「高いな…」
は?自分の耳を疑う。視線は右下のままで声も小さかったのでさすがに
聞き間違えたかと思った。
「55くらいで買えるんちゃうかなぁ…」…なんなんだこの男は。
「いやいや、兄さんのんやなくてな、安い自転車55くらいで
買えるんやないかと思うてなぁ」 変な奴なのであまり関わらないでいようと思い
「そうですね、探せばありそうですね。」と軽くながした。
話は終わったはずなのにまだ近くでウロウロしている。
「どっから来たんですか?」しぶしぶ質問をしてみた。
「おう!俺かぁ?大阪ヤ!」急に声が大きくなる。
しかしそんなことはどうでもよかった。
こっちとしては、オーストラリアの他の街の情報が聞きたかったのだ。
そもそも僕は、関西人にあまりいいイメージがない。
関西のお笑いは、誰かをけなしたり、どついたりして
勢いだけで人を笑わそうとする感じがあるからだ。
(もちろん 僕の個人的偏見である。)
「日本から直接ここですか?」
「おうっ!!」うわ!急に元気になりやがった。
「ここにはどのくらい…」といいかけたところで
「もう、一ヶ月くらいやなぁ…」腕を組み、視線は左下だ。
何だかこのいかにも長くここにいて、
どのくらいか忘れたといったふうな態度に
一瞬不快になった。
しかし、一ヶ月といえばかなりである。
もしかしたらケアンズの情報をたくさん持っているかもしれない。
そう割り切り、情報収集のため自分が部屋を探している旨を告げた。
案の定情報だけはたくさん持っており、翌日一緒に行ってみることになった。
この時彼がシェアメイト(同居人)になるなどとは夢にも思っていなかったのである。
以前、ブリスベンの宿でアイルランド人に言われたとおり、
これだけ日本語の溢れた街だったら仕事ぐらいその気になれば
すぐ見つかると思ったからだ。
いや、むしろこの街で見つけられなければ、他のトコではもっと厳しいだろうという
焦りがあったのかもしれない。
ともかく、そう決めたからにはまず住みかを探さなければならない。
安いとはいえいつまでも宿暮らしでは貯金もできない。
その第一段階として自転車を探した。
街角の張り紙を見ると「自転車Aus $85 ヘルメット付き」
(クィーンズランド州では法律で着用が義務づけられていた。)とある。
見に行ってみると18段変速のマウンテンバイクで、フリントストーンのヘルメットで
あったのでAus $75 まで値切って即買いである。
これで自分もびっくりするほど行動範囲が広がった。
この自転車に乗って街のあちこちで貸部屋の張り紙を見て廻ったがいまいちピンとこない。
しかたなく宿に戻りメシを作っていると、
「ちょっといいかぁ」と関西弁で話しかけられた。
振り向くとあまり生気の感じられない20代半ば過ぎの日本人がいた。
あまり乗り気はしなかったが返事をする。
「あの自転車兄さんの?」そうだ、と答えると
「なんぼしたん?」と聞かれたので正直に答えた。
「高いな…」
は?自分の耳を疑う。視線は右下のままで声も小さかったのでさすがに
聞き間違えたかと思った。
「55くらいで買えるんちゃうかなぁ…」…なんなんだこの男は。

「いやいや、兄さんのんやなくてな、安い自転車55くらいで
買えるんやないかと思うてなぁ」 変な奴なのであまり関わらないでいようと思い
「そうですね、探せばありそうですね。」と軽くながした。
話は終わったはずなのにまだ近くでウロウロしている。
「どっから来たんですか?」しぶしぶ質問をしてみた。
「おう!俺かぁ?大阪ヤ!」急に声が大きくなる。
しかしそんなことはどうでもよかった。
こっちとしては、オーストラリアの他の街の情報が聞きたかったのだ。
そもそも僕は、関西人にあまりいいイメージがない。
関西のお笑いは、誰かをけなしたり、どついたりして
勢いだけで人を笑わそうとする感じがあるからだ。
(もちろん 僕の個人的偏見である。)
「日本から直接ここですか?」
「おうっ!!」うわ!急に元気になりやがった。
「ここにはどのくらい…」といいかけたところで
「もう、一ヶ月くらいやなぁ…」腕を組み、視線は左下だ。
何だかこのいかにも長くここにいて、
どのくらいか忘れたといったふうな態度に
一瞬不快になった。
しかし、一ヶ月といえばかなりである。
もしかしたらケアンズの情報をたくさん持っているかもしれない。
そう割り切り、情報収集のため自分が部屋を探している旨を告げた。
案の定情報だけはたくさん持っており、翌日一緒に行ってみることになった。
この時彼がシェアメイト(同居人)になるなどとは夢にも思っていなかったのである。
2007年07月03日
其の9 ヌードル騒動
オーストラリアに来て1ヶ月が過ぎ、未だに収入の無い自分にやや焦りを感じてきた。
牧場にいて貯金が減ることはなかったが、このままココにいつまでも世話になっている
わけにはいかない。
そう思い立った翌朝、思い切ってライオンさんに打ち明けた。
「ケアンズに行って仕事を探します。」
「Oh!…」
「う…わかんねぇ…」
「You should…」 「はぁ~?」 もう二週間も一緒にいるのに、
相変わらずご主人様の言ってるコトが
聞き取れない。せっかくウルルンみたいな別れのシーンで出て行くつもりだったのに…
失敗に終わった。
夕方ライオン夫人が戻ってきたので、再び挑戦!今度はうまく伝わり、翌朝出発することになった。
あんまりウルルンに拘ったせいで、少々うさんくさい別れとなったが、
やっぱり別れは寂しいものである。
とりあえず再びタウンズヴィルに戻り、ケアンズへ向かう。
ケアンズに到着したのは夜9時をまわっていた。
ケアンズの街を宿を探して歩き回っているうち、日本語の看板が目に付いた。
そう言えばこっちに来てから独り言以外で日本語を口にしていなかったなぁ…。
などと考えていると、出てくる出てくる日本語の看板。
「うわ!なんじゃこりゃあ、ハワイみてぇだ」歩いている人、働いてる人周りを見渡せば日本人が多い。
なんだか テンションが 下がってきている自分に気付き、早速この街を出たくなった。
しかし、そうも言っておれず、適当なところで部屋を見つけた。
一泊Aus$11(約900円)。
お腹が空いていたのでスーパーに行ってカップ麺を買い、宿のキッチンで一人すすっていると、酔っぱらいの外国人(女の子)二人組がこっちにやってきた。
何かと思えばいきなり「何なの!あなたは、いつもここに居て!」とまくし立てられた。
「はぁ~?さっきここに着いたばかりだよ。」という僕の訴えも聞かず
「何でここでヌードル食べてんのよ!朝から晩までヌードルヌードル。
あなたのお腹はどうなってんのよ!」
ワケのわからないことを言い始めた。
「いつもここにいる日本人がいるの?」と尋ねても
「あなたがいるから、みんな食事の準備の時に邪魔になってんのよ!」といった調子である。
始めは二人の勢いに押されオドオドしていたが、だんだん腹が立ってきた。
しかし頭に血がのぼっているため余計に返す言葉が思いつかない。
やられっぱなしである。
見かねた他の外国人が「彼は違うよ。初めて見る顔だよ。」とは言ったが、
二人は全く聞く耳をもたない。
結局、自分が折れて(というか食べ終わったので)部屋に戻った。
同じ部屋のドイツ人が「いつも、5、6人であの場所に座ってる日本人がいるんだ。
食べ終わってもずっといるからね。そいつらと間違えたんだよ。
酔ってたしね、気にすんなよ。」
と声を掛けてきてくれた。嬉しかったがイライラしていたので素直に感謝できない。
しばらくすると、手に2本ビールを持ち中庭で飲もうと誘ってくれた。
二人で飲んでいると、先ほどの騒ぎを聞いていた人が集まってきて、さっきの二人組のコトを
イロイロ言い始めた。みんな気をつかってくれているようで、僕の気も晴れてきた。
調子に乗って飲んでいると、体が疲れていたせいもあり眠くなってそのままベッドに戻った。
翌朝(昼頃?)昨夜のドイツ人にお礼を言おうと探したが見あたらない。
他の人の話では早朝にピッキングの仕事に出掛け、暫くはそこに泊まり込むとのことらしい。
そんなことは一言も聞いてなかった。(途中から人が増えたのであまり話せなかった。)
怒りのせいで 心から感謝の言葉を言えなかった自分が情けなかった。
しかし初日から濃い1日になった ケアンズにやっぱり住んでみようという気持ちになってきた。
牧場にいて貯金が減ることはなかったが、このままココにいつまでも世話になっている
わけにはいかない。
そう思い立った翌朝、思い切ってライオンさんに打ち明けた。
「ケアンズに行って仕事を探します。」
「Oh!…」
「う…わかんねぇ…」

「You should…」 「はぁ~?」 もう二週間も一緒にいるのに、
相変わらずご主人様の言ってるコトが
聞き取れない。せっかくウルルンみたいな別れのシーンで出て行くつもりだったのに…
失敗に終わった。
夕方ライオン夫人が戻ってきたので、再び挑戦!今度はうまく伝わり、翌朝出発することになった。
あんまりウルルンに拘ったせいで、少々うさんくさい別れとなったが、
やっぱり別れは寂しいものである。
とりあえず再びタウンズヴィルに戻り、ケアンズへ向かう。
ケアンズに到着したのは夜9時をまわっていた。
ケアンズの街を宿を探して歩き回っているうち、日本語の看板が目に付いた。
そう言えばこっちに来てから独り言以外で日本語を口にしていなかったなぁ…。
などと考えていると、出てくる出てくる日本語の看板。
「うわ!なんじゃこりゃあ、ハワイみてぇだ」歩いている人、働いてる人周りを見渡せば日本人が多い。
なんだか テンションが 下がってきている自分に気付き、早速この街を出たくなった。
しかし、そうも言っておれず、適当なところで部屋を見つけた。
一泊Aus$11(約900円)。
お腹が空いていたのでスーパーに行ってカップ麺を買い、宿のキッチンで一人すすっていると、酔っぱらいの外国人(女の子)二人組がこっちにやってきた。
何かと思えばいきなり「何なの!あなたは、いつもここに居て!」とまくし立てられた。
「はぁ~?さっきここに着いたばかりだよ。」という僕の訴えも聞かず
「何でここでヌードル食べてんのよ!朝から晩までヌードルヌードル。
あなたのお腹はどうなってんのよ!」
ワケのわからないことを言い始めた。
「いつもここにいる日本人がいるの?」と尋ねても
「あなたがいるから、みんな食事の準備の時に邪魔になってんのよ!」といった調子である。
始めは二人の勢いに押されオドオドしていたが、だんだん腹が立ってきた。
しかし頭に血がのぼっているため余計に返す言葉が思いつかない。
やられっぱなしである。
見かねた他の外国人が「彼は違うよ。初めて見る顔だよ。」とは言ったが、
二人は全く聞く耳をもたない。
結局、自分が折れて(というか食べ終わったので)部屋に戻った。
同じ部屋のドイツ人が「いつも、5、6人であの場所に座ってる日本人がいるんだ。
食べ終わってもずっといるからね。そいつらと間違えたんだよ。
酔ってたしね、気にすんなよ。」
と声を掛けてきてくれた。嬉しかったがイライラしていたので素直に感謝できない。
しばらくすると、手に2本ビールを持ち中庭で飲もうと誘ってくれた。
二人で飲んでいると、先ほどの騒ぎを聞いていた人が集まってきて、さっきの二人組のコトを
イロイロ言い始めた。みんな気をつかってくれているようで、僕の気も晴れてきた。
調子に乗って飲んでいると、体が疲れていたせいもあり眠くなってそのままベッドに戻った。
翌朝(昼頃?)昨夜のドイツ人にお礼を言おうと探したが見あたらない。
他の人の話では早朝にピッキングの仕事に出掛け、暫くはそこに泊まり込むとのことらしい。
そんなことは一言も聞いてなかった。(途中から人が増えたのであまり話せなかった。)
怒りのせいで 心から感謝の言葉を言えなかった自分が情けなかった。
しかし初日から濃い1日になった ケアンズにやっぱり住んでみようという気持ちになってきた。
2007年06月28日
其の8 儚い夢
牧場での生活も一週間を過ぎると、だんだんと慣れてきた。
ライオン夫人も僕の持ってきた服はおかしいと言って、
ジーパンとウエスタンハットを貸してくれたのでちょっとした
カウボーイ気取りになってきた。
(ホントはブーツも貸して欲しかったが言えず、
スニーカーだっったのがいただけないが…。)
カウボーイと言えばやはり馬である。
馬を乗りこなさなければ、本物のカウボーイとは言えない。
(僕的には…。)
いつまでもグリズリー号ではダメなのである。
ふと、この町の入り口にロデオ大会の看板が出ていたのを思い出した。
そうだ!これに出よう!!
この大会で初の日本人チャンピオンにでもなった暁には
地方紙の表紙なんか飾っちゃって、モテモテのオーストラリアライフが
待っているに違いない。
うまくいけばNHKか何かが話を聞きつけ
「海外で活躍する日本人」等の特集で取材に来ちゃったりする
コトだってあるかもしれない
すっげぇぞ~…。
ロデオなんか馬につかまっときゃいいんだろぅ。
学生の時、後楽園遊園地で乗ったロデオマシーンでは
僕が一番長く乗れたし、才能は実証済みだ!
しかし、問題はこの牧場に馬がいるかどうかである。
鞭使いの練習をしていた雇われカウボーイのデニー(18歳)に
そこんとこを尋ねた。
「16頭いるよ…雄が…頭、雌が…頭」
「イヤ(乗り方)を教えてくれ、牛追いを馬でやりたいんだ」
デニーの説明を遮るように懇願した。
ちょっとこまった顔をしたが「OK!マスター(ライオンさん)に聞いてくる」
と言って家の中へ入っていった。
しばらくすると親指を立てたデニーが戻ってきた。
「馬を連れてくるから、そこのゲートを開けといて」
そう言うやいなやモトクロスに乗って何処かへ行ってしまった。
わけが分からなかったが、近くにある八方形の柵のゲートを開けて待った。
10分ほど待っても戻って来ないので、暑さも手伝いだんだんイラついてきた。
「ぁんだよ!どこまでいってんだ アイツ…。
確かに馬小屋みたいなのは今まで見たこと無いけどさぁ…」
そう思い始めた頃、遠くの方から地響きが聞こえてきた。
「オッ戻ったか?」
体がワクワクしてくる。地響きもだんだん大きくなる。
柵の上に上ってみると、遠くの方にバイクが見えた。
馬は?俺の馬は…?
地響きがかなり大きくなり、それがたくさんの馬の走っている音だと気付くまでに
さほど時間はかからなかった。
「おい…、ウソだろ… 」
10頭ほどの馬がデニーの乗るバイクに追われて必死になってこっちへ来ていた。
気付くと自分の体は柵の内側に入っていた。
馬たちはスグ近くをグルグル回っている。
デニーのバイクも回っている。
「こ・怖い…、う馬の目が怖い…。」そう思って怯えていると
デニーが僕に柵から出るように言っている。
慌てて柵から飛び出すとデニーは少し向きを変えて馬を柵の中に追い込んだ。
馬たちが柵の中をグルグルと回り始めると、彼はバイクを降りゲートを閉じた。
そして鞭を持つと地面を叩きながら、馬たちをグルグルと走らせている。
しばらくすると馬にも疲れが見え始め、走るスピードが遅くなってきた。
今度はデニーが柵の中に入り、ゲートを開き一頭ずつ柵の外へ出し始めた。
そして最後の一頭になった時やっと口を開いた。
「この馬がいいよ」
「…って、いや、いいよって野生じゃん…」
そう言いかけて言葉を飲み込む。
疲れきっているはずなのにデニーが近づくと馬は前足を上げて威嚇する。
デデデカイ…!馬はこんなにデカかったのか…。
改めて思い知らされビビッたが、彼は拳を馬の鼻に近づけている。
拳の匂いを嗅ぐと暴れていた馬がなぜか落ち着いてきた。
馬がかなり落ち着きを取り戻すと、今度は蹄鉄を取り出し付け始めた。
さらに鞍をのせてデニーが乗った。
今まで落ち着いていた馬もさすがに人を乗せるのには
抵抗があるらしく、再び暴れ始めたがすぐに落ち着いた。
柵から出ると時々言うことをきかないようだったが、
デニーは落ち着いた様子でなだめていた。惚れ惚れするような光景である。
しばらく乗った後、僕の方に来たが馬には乗らなかった。
とても自分に出来る芸当ではない。
そう思うと同時にロデオチャンピオンの夢も諦めた。
実に儚い夢であった。
最後に念を押すが、決して乗れなかったのではない。
あくまで意図的に乗らなかったのである。
(写真はライオンさん!あきらくんが数年前に撮ったものを
携帯で撮り直しました(^_^;)
ライオン夫人も僕の持ってきた服はおかしいと言って、
ジーパンとウエスタンハットを貸してくれたのでちょっとした

カウボーイ気取りになってきた。
(ホントはブーツも貸して欲しかったが言えず、
スニーカーだっったのがいただけないが…。)
カウボーイと言えばやはり馬である。
馬を乗りこなさなければ、本物のカウボーイとは言えない。
(僕的には…。)
いつまでもグリズリー号ではダメなのである。
ふと、この町の入り口にロデオ大会の看板が出ていたのを思い出した。
そうだ!これに出よう!!
この大会で初の日本人チャンピオンにでもなった暁には
地方紙の表紙なんか飾っちゃって、モテモテのオーストラリアライフが
待っているに違いない。
うまくいけばNHKか何かが話を聞きつけ
「海外で活躍する日本人」等の特集で取材に来ちゃったりする
コトだってあるかもしれない
すっげぇぞ~…。
ロデオなんか馬につかまっときゃいいんだろぅ。
学生の時、後楽園遊園地で乗ったロデオマシーンでは
僕が一番長く乗れたし、才能は実証済みだ!
しかし、問題はこの牧場に馬がいるかどうかである。
鞭使いの練習をしていた雇われカウボーイのデニー(18歳)に
そこんとこを尋ねた。
「16頭いるよ…雄が…頭、雌が…頭」
「イヤ(乗り方)を教えてくれ、牛追いを馬でやりたいんだ」
デニーの説明を遮るように懇願した。
ちょっとこまった顔をしたが「OK!マスター(ライオンさん)に聞いてくる」
と言って家の中へ入っていった。
しばらくすると親指を立てたデニーが戻ってきた。
「馬を連れてくるから、そこのゲートを開けといて」
そう言うやいなやモトクロスに乗って何処かへ行ってしまった。
わけが分からなかったが、近くにある八方形の柵のゲートを開けて待った。
10分ほど待っても戻って来ないので、暑さも手伝いだんだんイラついてきた。
「ぁんだよ!どこまでいってんだ アイツ…。
確かに馬小屋みたいなのは今まで見たこと無いけどさぁ…」
そう思い始めた頃、遠くの方から地響きが聞こえてきた。
「オッ戻ったか?」
体がワクワクしてくる。地響きもだんだん大きくなる。
柵の上に上ってみると、遠くの方にバイクが見えた。
馬は?俺の馬は…?
地響きがかなり大きくなり、それがたくさんの馬の走っている音だと気付くまでに
さほど時間はかからなかった。
「おい…、ウソだろ… 」
10頭ほどの馬がデニーの乗るバイクに追われて必死になってこっちへ来ていた。
気付くと自分の体は柵の内側に入っていた。
馬たちはスグ近くをグルグル回っている。
デニーのバイクも回っている。
「こ・怖い…、う馬の目が怖い…。」そう思って怯えていると
デニーが僕に柵から出るように言っている。
慌てて柵から飛び出すとデニーは少し向きを変えて馬を柵の中に追い込んだ。
馬たちが柵の中をグルグルと回り始めると、彼はバイクを降りゲートを閉じた。
そして鞭を持つと地面を叩きながら、馬たちをグルグルと走らせている。
しばらくすると馬にも疲れが見え始め、走るスピードが遅くなってきた。
今度はデニーが柵の中に入り、ゲートを開き一頭ずつ柵の外へ出し始めた。
そして最後の一頭になった時やっと口を開いた。
「この馬がいいよ」
「…って、いや、いいよって野生じゃん…」
そう言いかけて言葉を飲み込む。
疲れきっているはずなのにデニーが近づくと馬は前足を上げて威嚇する。
デデデカイ…!馬はこんなにデカかったのか…。
改めて思い知らされビビッたが、彼は拳を馬の鼻に近づけている。
拳の匂いを嗅ぐと暴れていた馬がなぜか落ち着いてきた。
馬がかなり落ち着きを取り戻すと、今度は蹄鉄を取り出し付け始めた。
さらに鞍をのせてデニーが乗った。
今まで落ち着いていた馬もさすがに人を乗せるのには
抵抗があるらしく、再び暴れ始めたがすぐに落ち着いた。
柵から出ると時々言うことをきかないようだったが、
デニーは落ち着いた様子でなだめていた。惚れ惚れするような光景である。
しばらく乗った後、僕の方に来たが馬には乗らなかった。
とても自分に出来る芸当ではない。
そう思うと同時にロデオチャンピオンの夢も諦めた。
実に儚い夢であった。
最後に念を押すが、決して乗れなかったのではない。
あくまで意図的に乗らなかったのである。
(写真はライオンさん!あきらくんが数年前に撮ったものを
携帯で撮り直しました(^_^;)
2007年06月20日
其の7 牧場
翌朝、バルコニーの下の物音で目を覚ます。
時計を見るとまだ朝の5時半である。
まだ眠っていたかったが初日からグータラしていたら感じが悪いと思い、
がんばって起き階下に下りると既に朝食の準備が終わっていた。
「おはよう。ちょうど今起こそうと思っていたところだったのよ」
ライオン夫人が挨拶をしてくれた。挨拶は爽やかだったが、
これから暫くはこんな時間に起きなくてはならないのかと思うと憂鬱な気分だ。
「ギダイ!アキラ…。…。…?」ライオンさんが話しかけてきた。
ヤバい…何て言ってるのかサッパリ分からない。オーストラリアでは全てギダイと発音する。
「Good Day!」と同じである。(友達同士ならギダイ!マイッ!Good Day! Mate!となる)aは殆ど全て「ァ」と発音する他、方言があることは聞いていたが、
ここまで方言がキツイとワケがわからない。
昨日の夕食の時はライオンさんがあまり話をしなかったので
分からなかったのだが、相当の訛り方である。
聞き取れなかったことで焦ってしまい、もう一度ゆっくり言われた言葉も耳に入ってこない。
見かねたライオン夫人が標準語?の英語で通訳してくれた。
しかし、焦って緊張した僕の耳が聞いてくれたのは3度目であった。
「昨日はよく眠れましたか?蚊に刺されませんでしたか?と言っていた。
「よく眠れましたよありがとう。」とは言ったものの、
本当は蚊が多すぎて浅い眠りしかできていなかった。
(グリズリーの写真はあきらくんが数年前撮ったものを携帯で撮り直したものです。(^_^;)
チャーターズ・タワーズでは、暫くの間暇な日々が続いた。朝早く起き、昼までボーっと過ごし、食事の後また夕方までやることはなかった。もともと暇が苦手な人間であるので、それはそれで苦痛であった。ここまで暇が続くと嫌なコトを色々と考えるようになってくる。仕事を辞めた理由や、ココにいる理由が改めてよく分からなくなり、帰国後の心配等をし始めた。
そんな時、一番末っ子のダニエル(12歳)が学校の休みを取って帰って来た。寮に入っていたのだが、家の手伝いのために戻ってきたのである。ライオンさんも僕が退屈していたのを気にしてくれていたのか、一緒に牧場を手伝えるようにしてくれた。
僕とダニエルの仕事は牛に烙印を押すことである。
これは初めての体験だったのでなかなか興奮した。ダニエルに学校休んで家の手伝いをするなんてエライなぁと言うと、変な顔をして「日本では手伝わないのか?」と言われたのが印象的だった。
数日後には農業アドバイザー!?をやっている長男のマイケル(24歳)が戻ってきた。
彼は僕にグリズリーという名の四輪バギーとトランシーバーを貸してくれ、
牛追いのやり方を教えてくれた。なぜトランシーバーが必要かと言えば、
牧場が12万ヘクタールもあるからである。
最初のうちは一人で行くと迷いそうでこわかった
(実際迷って、トランシーバーを使ったが太陽と逆の方向に戻ってこい、と分かりそうで分からない指示がでた。)が、そのうちにコツをつかんだ。
それは牛が道を覚えているので、牛について行けば良いだけなのであるが…。牛追いの最中には巨大な蟻塚や野生のカンガルーが見られて楽しかった。中でも牛は歩きながら排便ができるというのが一番の発見であった。そして、牛のお尻を見ながら荒野をバギーで走っていると自分の悩みがバカらしいものに感じた。
時計を見るとまだ朝の5時半である。
まだ眠っていたかったが初日からグータラしていたら感じが悪いと思い、

がんばって起き階下に下りると既に朝食の準備が終わっていた。
「おはよう。ちょうど今起こそうと思っていたところだったのよ」
ライオン夫人が挨拶をしてくれた。挨拶は爽やかだったが、
これから暫くはこんな時間に起きなくてはならないのかと思うと憂鬱な気分だ。
「ギダイ!アキラ…。…。…?」ライオンさんが話しかけてきた。
ヤバい…何て言ってるのかサッパリ分からない。オーストラリアでは全てギダイと発音する。
「Good Day!」と同じである。(友達同士ならギダイ!マイッ!Good Day! Mate!となる)aは殆ど全て「ァ」と発音する他、方言があることは聞いていたが、
ここまで方言がキツイとワケがわからない。
昨日の夕食の時はライオンさんがあまり話をしなかったので
分からなかったのだが、相当の訛り方である。
聞き取れなかったことで焦ってしまい、もう一度ゆっくり言われた言葉も耳に入ってこない。
見かねたライオン夫人が標準語?の英語で通訳してくれた。
しかし、焦って緊張した僕の耳が聞いてくれたのは3度目であった。
「昨日はよく眠れましたか?蚊に刺されませんでしたか?と言っていた。
「よく眠れましたよありがとう。」とは言ったものの、
本当は蚊が多すぎて浅い眠りしかできていなかった。
(グリズリーの写真はあきらくんが数年前撮ったものを携帯で撮り直したものです。(^_^;)
チャーターズ・タワーズでは、暫くの間暇な日々が続いた。朝早く起き、昼までボーっと過ごし、食事の後また夕方までやることはなかった。もともと暇が苦手な人間であるので、それはそれで苦痛であった。ここまで暇が続くと嫌なコトを色々と考えるようになってくる。仕事を辞めた理由や、ココにいる理由が改めてよく分からなくなり、帰国後の心配等をし始めた。
そんな時、一番末っ子のダニエル(12歳)が学校の休みを取って帰って来た。寮に入っていたのだが、家の手伝いのために戻ってきたのである。ライオンさんも僕が退屈していたのを気にしてくれていたのか、一緒に牧場を手伝えるようにしてくれた。
僕とダニエルの仕事は牛に烙印を押すことである。
これは初めての体験だったのでなかなか興奮した。ダニエルに学校休んで家の手伝いをするなんてエライなぁと言うと、変な顔をして「日本では手伝わないのか?」と言われたのが印象的だった。
数日後には農業アドバイザー!?をやっている長男のマイケル(24歳)が戻ってきた。
彼は僕にグリズリーという名の四輪バギーとトランシーバーを貸してくれ、
牛追いのやり方を教えてくれた。なぜトランシーバーが必要かと言えば、
牧場が12万ヘクタールもあるからである。
最初のうちは一人で行くと迷いそうでこわかった
(実際迷って、トランシーバーを使ったが太陽と逆の方向に戻ってこい、と分かりそうで分からない指示がでた。)が、そのうちにコツをつかんだ。
それは牛が道を覚えているので、牛について行けば良いだけなのであるが…。牛追いの最中には巨大な蟻塚や野生のカンガルーが見られて楽しかった。中でも牛は歩きながら排便ができるというのが一番の発見であった。そして、牛のお尻を見ながら荒野をバギーで走っていると自分の悩みがバカらしいものに感じた。
2007年06月19日
其の6 カウボーイの町
チャーターズ・タワーズは「カウボーイの町」としても知られている。
どのくらい「カウボーイの町」かといえば、
一本の幹線道路の脇に古い建物が並び、
あとは荒野が広がっているという西部劇さながらの風景といった具合で、
今にも枯草が風に吹かれて転がり込んできそうなぐらいである。
バスを降りたら、自分が流れ者のガンマンにでもなったような気分になった。
(店のガラスに映った姿は、でっかいバッグを背負った
半ズボンのひょろ長い日本人でガッカリしたが…。)
間もなくしてお世話になるライオン(名前である)夫人が車で迎えに来てくれた。
ライオンさんは牧場を営んでおり、そこの牛たちはオージービーフとなり
私たちの食卓を賑わせてくれるのである。
幹線道路をしばらく進むといきなり荒野の中に入った。
なんとか車で通れる程度の道だ。
あとどれくらいで着くのか尋ねると一時間程だと言う。
電話で聞いた時にはスグ近くだしミルクを買いに行くついでだから
迎えに行くと言われていたので悪い気がしたが、
家の近くまで行くバスは無いのでしょうがなかった。
30分ほどで家が見えてきたので着いたと思ったら、乳牛農家であった。
ミルクを運ぶから手伝ってと言われ、軽い気持ちでついて行ったら、
そこにあったのはパトラッシュがネロと一緒に荷車で
運んでいたようなミルク缶?が置いてあった。
でかい、でかすぎる。
こんな重いモノを運べるわけがない…
と思いライオン夫人の姿を追ったが見あたらない。
辺りを見渡すと幼い子どもが一人こっちを見ている。
バツが悪いので話しかけたら、バーニィーという名前で、
たまたまここへ遊びに来ていたそうである。
さらに運が悪いことに東洋人を見るのは初めてだということだ。
このままでは「日本人はひ弱だ」と、この子は一生思い続けるに違いない。
そして、この子がおじいちゃんになった時、
孫たちに「わしは幼い頃、日本人という者に会ってのぅ…
それはそれはひ弱な人種じゃった…」等と暖炉の側で昔話を始められなどしたら、
この国の白人主義に拍車がかかると懸念し頑張って担ぎ、車まで運んだ。
あと2つを運ぼうと戻ってみると、ライオン夫人とその子がプロパンガスを
運ぶように転がしながらミルク缶を運んできた。
日本人に対し相当マッチョなイメージをたたきこまれた子どもも車に乗せ、
ライオンさんの家に向かった。
その途中、牛たちに強烈なタックルを浴びせられながらも車は走り、
その子どもを家まで届け、ライオンさんの家にたどり着いたのは日も暮れた午後8時過ぎであった。
家ではライオンさんが僕が来るのを待っていてくれた。
とりあえず、荷物を置きなさいと連れて行かれた先は、
バルコニーに3つ並べられたベッドのうちの1つであった。
屋根はあるけど実質外である。
「げっ!日本から来たのに外かよっ!」とは思ったが、
顔には出さず礼を言って食卓に戻った。
日本からお土産を持ってきていたので、早速渡した。
ゴムでできた「ちょんまげ」と「芸者」のカツラである。
大爆笑を期待していたが、さほどウケることもなくカツラの話題はすぐに終わった。
ふれてはいけない物のようにつぶれたカツラが食卓の上に置かれたままで、
気まずい一日目の食事は味がしなかった。
(写真はライオンさん家のベッド!
数年前あきらくんが撮ったモノを携帯で撮り直したモノです(^_^;))
どのくらい「カウボーイの町」かといえば、
一本の幹線道路の脇に古い建物が並び、
あとは荒野が広がっているという西部劇さながらの風景といった具合で、
今にも枯草が風に吹かれて転がり込んできそうなぐらいである。
バスを降りたら、自分が流れ者のガンマンにでもなったような気分になった。
(店のガラスに映った姿は、でっかいバッグを背負った
半ズボンのひょろ長い日本人でガッカリしたが…。)
間もなくしてお世話になるライオン(名前である)夫人が車で迎えに来てくれた。
ライオンさんは牧場を営んでおり、そこの牛たちはオージービーフとなり
私たちの食卓を賑わせてくれるのである。
幹線道路をしばらく進むといきなり荒野の中に入った。
なんとか車で通れる程度の道だ。
あとどれくらいで着くのか尋ねると一時間程だと言う。
電話で聞いた時にはスグ近くだしミルクを買いに行くついでだから
迎えに行くと言われていたので悪い気がしたが、
家の近くまで行くバスは無いのでしょうがなかった。
30分ほどで家が見えてきたので着いたと思ったら、乳牛農家であった。
ミルクを運ぶから手伝ってと言われ、軽い気持ちでついて行ったら、
そこにあったのはパトラッシュがネロと一緒に荷車で
運んでいたようなミルク缶?が置いてあった。
でかい、でかすぎる。
こんな重いモノを運べるわけがない…
と思いライオン夫人の姿を追ったが見あたらない。
辺りを見渡すと幼い子どもが一人こっちを見ている。
バツが悪いので話しかけたら、バーニィーという名前で、
たまたまここへ遊びに来ていたそうである。
さらに運が悪いことに東洋人を見るのは初めてだということだ。
このままでは「日本人はひ弱だ」と、この子は一生思い続けるに違いない。
そして、この子がおじいちゃんになった時、
孫たちに「わしは幼い頃、日本人という者に会ってのぅ…
それはそれはひ弱な人種じゃった…」等と暖炉の側で昔話を始められなどしたら、
この国の白人主義に拍車がかかると懸念し頑張って担ぎ、車まで運んだ。
あと2つを運ぼうと戻ってみると、ライオン夫人とその子がプロパンガスを
運ぶように転がしながらミルク缶を運んできた。
日本人に対し相当マッチョなイメージをたたきこまれた子どもも車に乗せ、
ライオンさんの家に向かった。
その途中、牛たちに強烈なタックルを浴びせられながらも車は走り、
その子どもを家まで届け、ライオンさんの家にたどり着いたのは日も暮れた午後8時過ぎであった。
家ではライオンさんが僕が来るのを待っていてくれた。
とりあえず、荷物を置きなさいと連れて行かれた先は、
バルコニーに3つ並べられたベッドのうちの1つであった。
屋根はあるけど実質外である。
「げっ!日本から来たのに外かよっ!」とは思ったが、

顔には出さず礼を言って食卓に戻った。
日本からお土産を持ってきていたので、早速渡した。
ゴムでできた「ちょんまげ」と「芸者」のカツラである。
大爆笑を期待していたが、さほどウケることもなくカツラの話題はすぐに終わった。
ふれてはいけない物のようにつぶれたカツラが食卓の上に置かれたままで、
気まずい一日目の食事は味がしなかった。
(写真はライオンさん家のベッド!
数年前あきらくんが撮ったモノを携帯で撮り直したモノです(^_^;))
2007年06月15日
其の5 紙切れの場所
ケアンズに行けば仕事がある…、
このことで僕は気持ちに余裕が出来た。
次の日、ブリスベンの街を歩きながら とりあえず 仕事を探してみた。
ここでも仕事は無いこともなかった。
おそらくシドニーでも探しようによってはあったに違いない。
ただポイントがずれていたのだろう。時給$5~7といった仕事が多い。
内容もジャパニーズレストラン(通称ジャパレス)、ピッキングといったものが殆どである。
ただ、僕は日本を出る時から、わざわざ海外で日本人相手の仕事はしたくなかったので、
ワーキングホリデイの三大職種《ジャパレス・ツアコン・お土産屋》は避けたかった。
となると、ピッキングぐらいしか見つけられない。
もしかしてケアンズに行っても同じでは…。不吉な予感がしたので、
仕事を探すのを止め街をブラつくことにした。
よく見ると留学生かワーキングホリデイの人か分からないが、日本人の姿もちらほら見える。
日本人から情報を集めようと近寄ってはみるものの、その殆どが仲間同士で集まっているので、
なかなか話しかけづらい。一人でいる日本人を探そうと試みたが、
そうそういるものではなかった。
そうこうしているうちに、2~3日が過ぎたので僕はブリスベンを発つことにした。
次の目的地は、日本を出る前から行く予定だったチャーターズ・タワーズというところで
紙切れに書かれた場所だ。
ここはオーストラリア人でも知らない人がいるくらいマニアックな町である。
(ただの田舎でもあるが…。)
しかし、知っている人に言わせれば「最もオーストラリアっぽい場所」でもある。
実はここは僕の知り合いのオーストラリア人の生まれ故郷であった。
幼い時からの知り合いで、よくお土産としてオーストラリアに棲む「生き物の本」等をもらっていた。
当時、多感なあきら少年はその本を見て、いつの日かカンガルーの袋に入って荒れ果てた大地を飛び跳ねたい…と空想に耽っていたのである。
ともかく、チャーターズ・タワーズに行くためバスターミナルに行きチケットを買った。
直通便は無いので、タウンズヴィルまで行くこととなる。
タウンズヴィルはケアンズの南に位置し、南から来た人にとってはグレートバリアリーフの玄関口
ともいえる町である。幸い以前のようなハプニングもなくタウンズヴィルに着いた。
宿を探すのも苦労しないような小さな町だ。
荷物を預け、チャーターズ・タワーズにいる知り合いの親戚の家に
電話をかけようと公衆電話を探していると、
横を走っていた車から
「ジャップは帰れ!」といきなり罵声を浴びせられた。
あまりの急な出来事に唖然としたが、時間が経つにつれムカついてきた。
後で知ったことだが、この町の市長?に立候補している政治家の中に
“白人主義”の者がいたということで、そういった内容の演説でもしたのであろう
(結局落選したが…)。
また、そのことが理由だとは思わないが、ここにはホームレスとなった
アボリジニがたくさんいて、屋根付きの橋の中で寝泊まりしていた。
大都市では見かけなかった風景なので、正直その橋を渡るのには勇気がいった。
自分の中にも人種差別の芽があることを知り、この国の抱える人種差別の奥の深さを感じた。
このことで僕は気持ちに余裕が出来た。
次の日、ブリスベンの街を歩きながら とりあえず 仕事を探してみた。
ここでも仕事は無いこともなかった。
おそらくシドニーでも探しようによってはあったに違いない。
ただポイントがずれていたのだろう。時給$5~7といった仕事が多い。
内容もジャパニーズレストラン(通称ジャパレス)、ピッキングといったものが殆どである。
ただ、僕は日本を出る時から、わざわざ海外で日本人相手の仕事はしたくなかったので、
ワーキングホリデイの三大職種《ジャパレス・ツアコン・お土産屋》は避けたかった。
となると、ピッキングぐらいしか見つけられない。
もしかしてケアンズに行っても同じでは…。不吉な予感がしたので、
仕事を探すのを止め街をブラつくことにした。
よく見ると留学生かワーキングホリデイの人か分からないが、日本人の姿もちらほら見える。
日本人から情報を集めようと近寄ってはみるものの、その殆どが仲間同士で集まっているので、
なかなか話しかけづらい。一人でいる日本人を探そうと試みたが、
そうそういるものではなかった。
そうこうしているうちに、2~3日が過ぎたので僕はブリスベンを発つことにした。
次の目的地は、日本を出る前から行く予定だったチャーターズ・タワーズというところで
紙切れに書かれた場所だ。
ここはオーストラリア人でも知らない人がいるくらいマニアックな町である。
(ただの田舎でもあるが…。)
しかし、知っている人に言わせれば「最もオーストラリアっぽい場所」でもある。
実はここは僕の知り合いのオーストラリア人の生まれ故郷であった。
幼い時からの知り合いで、よくお土産としてオーストラリアに棲む「生き物の本」等をもらっていた。
当時、多感なあきら少年はその本を見て、いつの日かカンガルーの袋に入って荒れ果てた大地を飛び跳ねたい…と空想に耽っていたのである。
ともかく、チャーターズ・タワーズに行くためバスターミナルに行きチケットを買った。
直通便は無いので、タウンズヴィルまで行くこととなる。
タウンズヴィルはケアンズの南に位置し、南から来た人にとってはグレートバリアリーフの玄関口
ともいえる町である。幸い以前のようなハプニングもなくタウンズヴィルに着いた。
宿を探すのも苦労しないような小さな町だ。
荷物を預け、チャーターズ・タワーズにいる知り合いの親戚の家に
電話をかけようと公衆電話を探していると、
横を走っていた車から
「ジャップは帰れ!」といきなり罵声を浴びせられた。
あまりの急な出来事に唖然としたが、時間が経つにつれムカついてきた。
後で知ったことだが、この町の市長?に立候補している政治家の中に
“白人主義”の者がいたということで、そういった内容の演説でもしたのであろう
(結局落選したが…)。
また、そのことが理由だとは思わないが、ここにはホームレスとなった
アボリジニがたくさんいて、屋根付きの橋の中で寝泊まりしていた。
大都市では見かけなかった風景なので、正直その橋を渡るのには勇気がいった。
自分の中にも人種差別の芽があることを知り、この国の抱える人種差別の奥の深さを感じた。
2007年06月13日
其の4 相部屋
ブリスベンの宿はドミトリー、つまり相部屋であった。
薄暗い部屋の中に入ると、3人組が固まって座って話しをしており、
もう一人はベッドの上で横になっていた。
とりあえず挨拶をする。
3人組がこっちを振り返り社交辞令のような笑顔で返してくれたが、
すぐ元の話題に戻ったようだ。
ベッドの上の男はチラリと見ただけである。
何か嫌な雰囲気だ。背負った荷物を解くフリをして3人組の会話に耳を立てる。
英語じゃない…。
さっきは緊張していて分からなかったが、明らかに英語じゃない。
その瞬間、体の中の細胞がこの部屋から出たいと騒ぎ始めた。
外に出て落ち着きは取り戻したが、すぐに戻っては変な奴だと思われるに違いないので、
トイレに行ったフリをして戻った(誰も気付いてはいなかったが…。)
戻っても状況が変わっているはずもなく、勇気を振り絞って3人組に話しかける、もちろん英語だ。
「どこから来たの?」
会話が止まり、3人の視線が集まった。
その中の一人が笑顔でスイスだと答えてくれた。
どうやら3人ともそうらしい。しかし次の言葉が浮かばない。
スイス・スイス・スイス…、僕の頭の中にはハイジが長いブランコに乗っている姿(音楽付き)と、
雪山をバックに変な帽子を被り、これまた長いラッパを吹いている
この3人組の男達しか想像ができない。
暫くの静寂のあと、こちらの緊張が伝わったのか
「君はどこから来たんだ?」と向こうから切り返してくれた。
「日本…」「オ~日本ネ…日本、日本…」明らかに彼らも次の言葉を探している。
そして3人でジャパン・ジャパンと言い出したかと思ったら
「腹は空いてないか?」といきなり飛躍した会話を投げかけられた。
あまりの会話の飛びっぷりに動揺が隠せない。
「さっき食べたよ…」ウソだ。お腹はペコペコである。
しかし、彼らと同じ時間を過ごす自信がない。
おそらく彼らとて同じ思いに違いない。
そう思うと寂しくても一人の方がマシだ。「満腹だよ」
ジェスチャー付きでそう言うと彼らは部屋を出て行った。
部屋の中が静かになる。
やっぱり一緒に行けば良かったかなぁ…と思い始めた時、
後ろからシャカシャカと音が聞こえ始めた。
ベッドの上の男が付けていたウォークマンを外したようだ。
「あいつら、うるせぇんだよ…」起きたかと思ったら、いきなりこっちにまくしたててきた。
早くてよく聞き取れなかったが、彼らが自分にわからない言葉で話しをしているのが気に入らなかったらしい。
いろんな人と話そうとせず、3人で固まっていたコトにも腹を立てているようだ。
言いたいことを言ったあと「次は何処へいくんだ?」と尋ねてきた。
呆気にとられていたのでもう一度聞き直し、今着いたトコで仕事を探しているコトを伝えた。
「おまえ日本人だろ、ケアンズに行けよ。いくらでもあるぞ。あそこは日本だからな」と言って笑った。
彼もそこでピッキング(果物等の採集)の仕事をしたが、きつくて割に合わずすぐ辞めたそうだ。
メロンはキツイとの情報もくれた。
早速ケアンズの場所を地図で探し出したら、西海岸の一番北にあり、グレートバリアリーフ側であった。
しかし、そこに行く前に僕には行ってみたい場所があった。
それは日本を出る前から持っていた紙きれに書かれた場所だ。
とりあえず彼に礼を言って出身地を尋ねた。
「アイルランド」
そしてまたあの静寂が訪れた…。
薄暗い部屋の中に入ると、3人組が固まって座って話しをしており、
もう一人はベッドの上で横になっていた。
とりあえず挨拶をする。
3人組がこっちを振り返り社交辞令のような笑顔で返してくれたが、
すぐ元の話題に戻ったようだ。
ベッドの上の男はチラリと見ただけである。
何か嫌な雰囲気だ。背負った荷物を解くフリをして3人組の会話に耳を立てる。
英語じゃない…。
さっきは緊張していて分からなかったが、明らかに英語じゃない。
その瞬間、体の中の細胞がこの部屋から出たいと騒ぎ始めた。
外に出て落ち着きは取り戻したが、すぐに戻っては変な奴だと思われるに違いないので、
トイレに行ったフリをして戻った(誰も気付いてはいなかったが…。)
戻っても状況が変わっているはずもなく、勇気を振り絞って3人組に話しかける、もちろん英語だ。
「どこから来たの?」
会話が止まり、3人の視線が集まった。
その中の一人が笑顔でスイスだと答えてくれた。
どうやら3人ともそうらしい。しかし次の言葉が浮かばない。
スイス・スイス・スイス…、僕の頭の中にはハイジが長いブランコに乗っている姿(音楽付き)と、
雪山をバックに変な帽子を被り、これまた長いラッパを吹いている
この3人組の男達しか想像ができない。
暫くの静寂のあと、こちらの緊張が伝わったのか
「君はどこから来たんだ?」と向こうから切り返してくれた。
「日本…」「オ~日本ネ…日本、日本…」明らかに彼らも次の言葉を探している。
そして3人でジャパン・ジャパンと言い出したかと思ったら
「腹は空いてないか?」といきなり飛躍した会話を投げかけられた。
あまりの会話の飛びっぷりに動揺が隠せない。
「さっき食べたよ…」ウソだ。お腹はペコペコである。
しかし、彼らと同じ時間を過ごす自信がない。
おそらく彼らとて同じ思いに違いない。
そう思うと寂しくても一人の方がマシだ。「満腹だよ」
ジェスチャー付きでそう言うと彼らは部屋を出て行った。
部屋の中が静かになる。
やっぱり一緒に行けば良かったかなぁ…と思い始めた時、
後ろからシャカシャカと音が聞こえ始めた。
ベッドの上の男が付けていたウォークマンを外したようだ。
「あいつら、うるせぇんだよ…」起きたかと思ったら、いきなりこっちにまくしたててきた。
早くてよく聞き取れなかったが、彼らが自分にわからない言葉で話しをしているのが気に入らなかったらしい。
いろんな人と話そうとせず、3人で固まっていたコトにも腹を立てているようだ。
言いたいことを言ったあと「次は何処へいくんだ?」と尋ねてきた。
呆気にとられていたのでもう一度聞き直し、今着いたトコで仕事を探しているコトを伝えた。
「おまえ日本人だろ、ケアンズに行けよ。いくらでもあるぞ。あそこは日本だからな」と言って笑った。
彼もそこでピッキング(果物等の採集)の仕事をしたが、きつくて割に合わずすぐ辞めたそうだ。
メロンはキツイとの情報もくれた。
早速ケアンズの場所を地図で探し出したら、西海岸の一番北にあり、グレートバリアリーフ側であった。
しかし、そこに行く前に僕には行ってみたい場所があった。
それは日本を出る前から持っていた紙きれに書かれた場所だ。
とりあえず彼に礼を言って出身地を尋ねた。
「アイルランド」
そしてまたあの静寂が訪れた…。
2007年06月08日
其の3 Birthday
バスが停まり人々は各々降り始めた。
しばらくして荷物を渡していた運転手が戻ってきて何か叫んでいる。
オレンジのカバンの持ち主は誰かと尋ねているようだ。
前の席から聞き始めて僕の横で止まった。
隣でぐったりしている男に声をかけているが返事をしない。
何度も聞いているが黙ったままだ。
車内がざわつく。痺れを切らした運転手が警察を呼ぶぞと大声で言っても変わらない。
数分後警察が現れた。外国の警察官のイメージそのままにサングラスなどをつけていたから、
おのずと興奮してきた。
相変わらず声をかけても返事がない。
肩を大きく揺すってもダメだったので、手荷物を開き始めた。
パスポートの国籍は「オランダ」になっている。
ポケットの中を調べ始めると中から注射セットが出てきた。
薬みたいなものも一緒だ。
警察官が何かに気付いたように、その薬を彼の足に注射した。
数秒もしないうちに彼は意識を取り戻した。
何か会話を交わしていたが、英語が通じないようで結局彼は警察官と一緒にバスを降り、
パトカーに乗って行ってしまった。
何だったのかよく分からなかったので、前後ろの人に事情を聞いたが、
彼らも興奮していたのか英語が早すぎてさっぱり聞き取れない。
挙げ句の果てには前と後ろで何か言い合っている。
おそらく彼らもよくわかっていなかったのだろう。
ともかくバスはまた走り始めた。
後ろの女の子達がちょっと動揺した僕にちょっかいを出してきた。
「ヤメロよ!」とは言ったものの、本当はやめてほしくなかった。
通路を挟んで隣の男が、さっきの男のマネをして僕に寄りかかってきたが、こっちは本当にやめて欲しかった。そんな感じだったので、ブリスベンまでは、あっという間だった。後ろの女の子には手を振って、隣の男には中指を立てて別れた。
ブリスベンはイギリス風の街並みの美しい街だ。
街の中には時計塔があり、しばらくその雰囲気に浸ることが出来た。
時計塔に登り街を眺めると自由を満喫した気持ちになり、気分が良かった。
その1階で何か催し物をやっていたので、寄ってみると子ども達の作文がたくさん貼ってある。
その書き出しは全て「My FaFa is~」となっていた。
近くにいたおばあちゃんに意味を尋ねると、幼児語でおじいちゃんということである。
敬老の日か何かだったのだろう。暇だったのでいろいろ読んでみることにした。
「私のおじいちゃんは釣りがとても上手です、いつも私たちに…」とか
「私のおばあちゃんは編み物がとっても得意です…」等々の
微笑ましい作文がその絵と共に並んでいる中、
一つだけ「私のおじいちゃんはすごい兵隊でした。
戦争中にはたくさんの日本の兵隊を…」と残酷な作文を書いている子がいた。
いくら子どもの主体性を尊重するとはいえ、この作文を貼った先生のモラルを疑うとともに、
悲しい気分に突き落とされた。
へこんでばかりもいられないので、気を取り直して宿を探す。
幸いシドニーでラグビーの決勝戦をやっていたので比較的簡単に見つけることができた。
一泊AUS $11…。チェックインしようとパスポートを受付の兄ちゃんに渡した時、
彼が気をきかせてこう言った!
「Happy Birthday!」アッ!そうだ、今日は誕生日だった!
そして18歳から殆ど毎年違う場所で誕生日を迎えているコトを改めて実感し、ため息がでた。
しばらくして荷物を渡していた運転手が戻ってきて何か叫んでいる。
オレンジのカバンの持ち主は誰かと尋ねているようだ。
前の席から聞き始めて僕の横で止まった。
隣でぐったりしている男に声をかけているが返事をしない。
何度も聞いているが黙ったままだ。
車内がざわつく。痺れを切らした運転手が警察を呼ぶぞと大声で言っても変わらない。
数分後警察が現れた。外国の警察官のイメージそのままにサングラスなどをつけていたから、
おのずと興奮してきた。
相変わらず声をかけても返事がない。
肩を大きく揺すってもダメだったので、手荷物を開き始めた。
パスポートの国籍は「オランダ」になっている。
ポケットの中を調べ始めると中から注射セットが出てきた。
薬みたいなものも一緒だ。
警察官が何かに気付いたように、その薬を彼の足に注射した。
数秒もしないうちに彼は意識を取り戻した。
何か会話を交わしていたが、英語が通じないようで結局彼は警察官と一緒にバスを降り、
パトカーに乗って行ってしまった。
何だったのかよく分からなかったので、前後ろの人に事情を聞いたが、
彼らも興奮していたのか英語が早すぎてさっぱり聞き取れない。
挙げ句の果てには前と後ろで何か言い合っている。
おそらく彼らもよくわかっていなかったのだろう。
ともかくバスはまた走り始めた。
後ろの女の子達がちょっと動揺した僕にちょっかいを出してきた。
「ヤメロよ!」とは言ったものの、本当はやめてほしくなかった。
通路を挟んで隣の男が、さっきの男のマネをして僕に寄りかかってきたが、こっちは本当にやめて欲しかった。そんな感じだったので、ブリスベンまでは、あっという間だった。後ろの女の子には手を振って、隣の男には中指を立てて別れた。
ブリスベンはイギリス風の街並みの美しい街だ。
街の中には時計塔があり、しばらくその雰囲気に浸ることが出来た。
時計塔に登り街を眺めると自由を満喫した気持ちになり、気分が良かった。
その1階で何か催し物をやっていたので、寄ってみると子ども達の作文がたくさん貼ってある。
その書き出しは全て「My FaFa is~」となっていた。
近くにいたおばあちゃんに意味を尋ねると、幼児語でおじいちゃんということである。
敬老の日か何かだったのだろう。暇だったのでいろいろ読んでみることにした。
「私のおじいちゃんは釣りがとても上手です、いつも私たちに…」とか
「私のおばあちゃんは編み物がとっても得意です…」等々の
微笑ましい作文がその絵と共に並んでいる中、
一つだけ「私のおじいちゃんはすごい兵隊でした。
戦争中にはたくさんの日本の兵隊を…」と残酷な作文を書いている子がいた。
いくら子どもの主体性を尊重するとはいえ、この作文を貼った先生のモラルを疑うとともに、
悲しい気分に突き落とされた。
へこんでばかりもいられないので、気を取り直して宿を探す。
幸いシドニーでラグビーの決勝戦をやっていたので比較的簡単に見つけることができた。
一泊AUS $11…。チェックインしようとパスポートを受付の兄ちゃんに渡した時、
彼が気をきかせてこう言った!
「Happy Birthday!」アッ!そうだ、今日は誕生日だった!
そして18歳から殆ど毎年違う場所で誕生日を迎えているコトを改めて実感し、ため息がでた。
2007年06月07日
其の2 ハプニング
ワーキングホリデイ・ビザは、(日本と協定を結んだ)外国において
同じオーナー(経営者)の下3ヶ月以内に限り就労を許可
(オーナーを変える→転職をしたらさらに3ヶ月)され、
1年間の滞在が認められるビザである。
僕がこのビザを取った時は、オーストラリアの他カナダやニュージーランドでも
同様の滞在が認められていた。(現在は韓国とフランスが加わったと聞いたが…)
オーストラリアに決めた理由は単純に行ったことが無かったからである。
他の2カ国は、学生時代にスノーボードの為に行ったことがあった。
以前も同じ一人旅…。
しかし、こうまで気分が違うのはなんでだろう。
それに気づいたのはブリスベン行きのバスの中であった。
バス停には2時間も前に行った。不安だからではない、暇だったからだ。
暗闇の中、地べたに座り込んで日本から持ってきたタバコに火をつけ、
道往く人々の足下をぼんやり眺めていたら声を掛けられた。
「タバコを一本くれよ。」明らかにホームレスとわかる風貌に
一瞬怯んだが、いい暇つぶしになりそうだ。
「日本のタバコだぞ、高いぞ!」と一本差し出した。
「いくらだ?」「あげるよ。」自分に微笑む顔を見たのがずっと前だったような気がする。
「日本ではいくらだ?」「一箱¥280…ん~と、ASU$3.5だよ」
「この国の方がずっと高いな…」
そう言い残して彼は立ち去った。
慌ててタバコ売り場に行って値段を確認する。
「マルボロASU$7…」25本入りとはいえ、これは高すぎる。
そういえば、カナダやニュージーランドでも高かったことを思い出した。
(正確にはタバコ自体より税金が高いのであるが…。)
この時から寂しさを紛らわすためにタバコをあげることはやめた。
バスの時間が近づいてきて、さらにカルチャーショックを受けた。
バスを待つ人が皆手に枕を持っていたことである。
鉄道があまり普及していないこの国では、移動手段はバスがメインである。
(列車は高価で贅沢な乗り物である。しかも、遅いし…)
したがって長距離移動の場合は、夜寝るための枕を持参するのが
ここでの基本なのであった。
枕のないまま2晩、さすがに体はきつかったが気分はよかった。
移動していることで変な焦りはなかった。
自分はブリスベンに向かっている、つまり目的地が明確だったからである。
目的地があるかどうか、これが以前の旅行と大きく違うことであることに気付いた。
目的はたくさんあるが、目的地が決まっていない
こんなことに今頃気付くとは…。
さらに窓の外を眺めながら物思いに耽っていると、
目的そのものも疑わしくなってくる。
そうこうしているうちに、バスから海が見えてきた。
サーファーズパラダイスを過ぎ、ゴールドコーストに着こうとしている。
その時隣に座っていた男がものすごい勢いでもたれかかってきた。
寝ていると思い、しばらく我慢したが全然起きない。
「…すいません…。」「…(返事なし)…」「すいません!」(返事なし)…」
な!なんなんだ?
だんだん右肩が重くなってきたので、無理矢理起こしてみるが、
すぐに倒れかかってくる。
「お~い!!」血の気が引いてきた。
周りの人も異変に気付き「どうしたんだ?」と聞いてきた。
そしてバスはゴールドコーストの一つ前のバス停で停車した。
同じオーナー(経営者)の下3ヶ月以内に限り就労を許可
(オーナーを変える→転職をしたらさらに3ヶ月)され、
1年間の滞在が認められるビザである。
僕がこのビザを取った時は、オーストラリアの他カナダやニュージーランドでも
同様の滞在が認められていた。(現在は韓国とフランスが加わったと聞いたが…)
オーストラリアに決めた理由は単純に行ったことが無かったからである。
他の2カ国は、学生時代にスノーボードの為に行ったことがあった。
以前も同じ一人旅…。
しかし、こうまで気分が違うのはなんでだろう。
それに気づいたのはブリスベン行きのバスの中であった。
バス停には2時間も前に行った。不安だからではない、暇だったからだ。
暗闇の中、地べたに座り込んで日本から持ってきたタバコに火をつけ、
道往く人々の足下をぼんやり眺めていたら声を掛けられた。
「タバコを一本くれよ。」明らかにホームレスとわかる風貌に
一瞬怯んだが、いい暇つぶしになりそうだ。
「日本のタバコだぞ、高いぞ!」と一本差し出した。
「いくらだ?」「あげるよ。」自分に微笑む顔を見たのがずっと前だったような気がする。
「日本ではいくらだ?」「一箱¥280…ん~と、ASU$3.5だよ」
「この国の方がずっと高いな…」
そう言い残して彼は立ち去った。
慌ててタバコ売り場に行って値段を確認する。
「マルボロASU$7…」25本入りとはいえ、これは高すぎる。
そういえば、カナダやニュージーランドでも高かったことを思い出した。
(正確にはタバコ自体より税金が高いのであるが…。)
この時から寂しさを紛らわすためにタバコをあげることはやめた。
バスの時間が近づいてきて、さらにカルチャーショックを受けた。
バスを待つ人が皆手に枕を持っていたことである。
鉄道があまり普及していないこの国では、移動手段はバスがメインである。
(列車は高価で贅沢な乗り物である。しかも、遅いし…)
したがって長距離移動の場合は、夜寝るための枕を持参するのが
ここでの基本なのであった。
枕のないまま2晩、さすがに体はきつかったが気分はよかった。
移動していることで変な焦りはなかった。
自分はブリスベンに向かっている、つまり目的地が明確だったからである。
目的地があるかどうか、これが以前の旅行と大きく違うことであることに気付いた。
目的はたくさんあるが、目的地が決まっていない
こんなことに今頃気付くとは…。
さらに窓の外を眺めながら物思いに耽っていると、
目的そのものも疑わしくなってくる。
そうこうしているうちに、バスから海が見えてきた。
サーファーズパラダイスを過ぎ、ゴールドコーストに着こうとしている。
その時隣に座っていた男がものすごい勢いでもたれかかってきた。
寝ていると思い、しばらく我慢したが全然起きない。
「…すいません…。」「…(返事なし)…」「すいません!」(返事なし)…」
な!なんなんだ?
だんだん右肩が重くなってきたので、無理矢理起こしてみるが、
すぐに倒れかかってくる。
「お~い!!」血の気が引いてきた。
周りの人も異変に気付き「どうしたんだ?」と聞いてきた。
そしてバスはゴールドコーストの一つ前のバス停で停車した。
2007年06月05日
其の1 旅立ち
1998年9月、僕は日本を出た。
理由はたくさんあるのでよくわからない。
出国の3日前にチケットを買った。シドニーまでの片道切符。
ちょっとカッコイイ(もっと早く往復で買えば安かったのだが…。)
そんな自己満足が長く続くはずもない。
空港(シドニー)について荷物を持った途端、現実に戻り途方に暮れた。
何から始めればいいんだろうか…。所持金10万円、
仕事も探さなくてはいけない。気が付けば早朝についたはずなのに、
もうお昼をまわっている。お腹もすいてきた。
適当に食事をとって、とりあえず宿を探すことにした。
運の悪いことに、この時期シドニーはラグビーの決勝戦が始まっていて、
どこの安宿も空いていない。
1泊AU$10位の予定だったが、$35のところに泊ることにした。
何時間も歩き回った末の決断とはいえ、予定の3倍の出費は痛い。
早く仕事を探そうと、次の日から歩き回る。
1日目、2日目、そして3日目で引きこもった…。
気分転換にと、4日目には動物園でコアラと遊んで、オペラハウスに行った。
新婚旅行らしい日本人のカップルに写真を頼まれる。
二人のあまりの眩しさに目がくらんだ。
気分転換のつもりがよけいにブルーになった。
「この町は呪われている…。」そのままバスのチケット売り場に行き、
翌日ブリスベン行きを買うことにした。
シドニー滞在5日間、その後オーストラリアで会うことになる日本人の中で最短であった。
理由はたくさんあるのでよくわからない。
出国の3日前にチケットを買った。シドニーまでの片道切符。
ちょっとカッコイイ(もっと早く往復で買えば安かったのだが…。)
そんな自己満足が長く続くはずもない。
空港(シドニー)について荷物を持った途端、現実に戻り途方に暮れた。
何から始めればいいんだろうか…。所持金10万円、
仕事も探さなくてはいけない。気が付けば早朝についたはずなのに、
もうお昼をまわっている。お腹もすいてきた。
適当に食事をとって、とりあえず宿を探すことにした。
運の悪いことに、この時期シドニーはラグビーの決勝戦が始まっていて、
どこの安宿も空いていない。
1泊AU$10位の予定だったが、$35のところに泊ることにした。
何時間も歩き回った末の決断とはいえ、予定の3倍の出費は痛い。
早く仕事を探そうと、次の日から歩き回る。
1日目、2日目、そして3日目で引きこもった…。
気分転換にと、4日目には動物園でコアラと遊んで、オペラハウスに行った。
新婚旅行らしい日本人のカップルに写真を頼まれる。
二人のあまりの眩しさに目がくらんだ。
気分転換のつもりがよけいにブルーになった。
「この町は呪われている…。」そのままバスのチケット売り場に行き、
翌日ブリスベン行きを買うことにした。
シドニー滞在5日間、その後オーストラリアで会うことになる日本人の中で最短であった。


