母への手紙
今度の9月9日 亡くなって2年が経ちますが
天国はどうですか?
フラダンス踊ってますか?世界中を旅行して見ましたか?
亡くなった人への気持ちは想うだけで伝わると言うから
きっとこの手紙も伝わると思っています。
9月5日いつものように1歳半の子供を預けて
迎えに行った日の夜
母は趣味でやっていた詩吟の途中
くも膜下出血で脳死状態になり そのまま意識が戻らずに
57歳で亡くなりました。
間違いなく今まで生きてきて一番泣きました。
前に同級生の母親が亡くなったと聞いた時は
対岸の火事で まさか自分の母親がこんなに早く逝くなんて
思ってもみません。
自分を生んでくれた人がこの世からいなくなる辛さを知りました。
いまだに 「お母さんにはよくしてもらった。」と言われるほど
優しくて とびきり面白い人でした。
母の片目は生まれつき眼腱下垂?という病気で
まぶたが下がっていて 片方の目と比べると明らかに大きさが違っていました。
女性ですから ものすごく気にしたと思います。
けれど それがあったから 暗く見られないようにと
おどけたり、明るく振るまうようにしていたとも言っていました。
共働きでしたから 母は3人の子供を産んですぐ仕事に復帰。
祖母がいたこともありますが 淋しいと感じたことはありません。
手作りのお菓子や手編みのセーター…
どれも 愛情がたくさんこもっていました。
私が 漫画を描こうが 柔道の試合で負けようが
真夜中にギターを弾こうが いつも味方で応援してくれました。
体は強い方ではなくて入院することも。
亡くなる数年前も心臓の手術で入院したことがありました。
家の中は火が消えたように暗かったです。
私が見舞いに行くと 「もういいよ。」と言うのに
帰りは必ず 病院の玄関まで一緒に来て
「気をつけなさいよ。」
と言って私が見えなくなるまで立っているのです。
結婚して 実家へ行き 帰る時も 母はいつも同じように
車のそばまで出てきて
「気をつけなさいよ。」と言ってくれました。
今 私にも大切な家族ができて母の気待ちが本当によくわかるのです。
大好きな人が周りにいる幸せは当たり前じゃありません。
家族が出かける時 私がいう言葉は
「気をつけてね。」です。
母は ひまわりが大好きでした。
太陽に向かってまっすぐに伸びて ぱあ!と咲くから好き!
そう言って笑っていました。
けれど 母が亡くなった日
実家に咲いていたひまわりは
なんだか茎が細くて儚げだと姉が泣きました。
母はまるで ひまわりのような人でした。
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