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2011年08月17日

そうめん流し

 父に癌が見つかったことを聞いたのは
8月12日 金曜日のことだった。

父は4年前に母が亡くなってから一人で生活している。


その日の夕方は今後の検査の話をして

お盆に広島から姉一家が帰って来るのでオードブルを注文する話をした。

〇〇(長男)が去年したそうめん流しをしたいと言っていたが自分一人では無理だと応えたと父は言った。

自分が癌だと知ってショックを受けている父に何を言うのかと正直嫌な気持ちになった。


 14日の夕方、夫の実家がある佐世保から帰り実家の庭に車を入れると
目の前には そうめん流しの竹が出来上がっていた。


「お父さん!一人で作ったの?!」

びっくりしたのが半分、やはり…という気持ちも半分。

父はこういう人だ。

「ああ。9時から11時くらいまでかかったわ。」


「しなくても良かったのに。明日は雨かもよ~」


「〇〇とよち(一番下の孫二人)は、去年のそうめん流し覚えてないからなぁ…。」



姉も帰るし、トイレぐらいは掃除しようとドアを開けると同じような消臭スプレーが2本。

どんだけう●こ臭いん…と苦笑いした。

父に言うと、前のが無くなったと思って新しいのを買ってしまったのだと言う。


掃除が終わると、玄関で父が松明と蝋燭を持って立っていた。


実家のお墓は、すぐそばの山の中 家を見下ろす所に二十年ほど前移された。

見栄っ張りな祖父が購入した私の背よりも高い立派なお墓だ。


てっぺんから水をかけて、蝋燭と松明に火をつける。

お墓のすぐ上には、8月に庭先でよく見かける神楽の時に持つ鈴のような形をした

ピンク色の花が咲いている。名前は知らない。


「お父さん、あの花何の花かな?あの花を切って飾る?」と私が言うと

父は「ああ。」と言って花を切るハサミを持って来た。

お墓の上から手を伸ばし花の枝を切ったかと思ったら、そのまま傍にある

お供えした花の中にその花を加えた。

そこに入れるなら切らずに咲いたままにすればよかったかな…と思ったけれど

まあいいかと思う。

父と二人で墓参り。

昨日弟が墓参りに帰ったか尋ねると「いいや」と言う。


 15日の朝も仕事の前に実家に寄ったのは

仏壇に供える花が、父がやるとどうにもすかすかで淋しく感じてしまうからだ。

花を供えた後玄関にも花があったらなと思ったけれど、庭のひまわりは

飾るには時期が過ぎてしまったようだ。

昼から休みを取ったことを告げて私は仕事へ行った。



昼になり、めずらしく父から電話がかかった。


「あー。もうすぐ帰る?姉ちゃんももうすぐ帰るよ。」


 

 昼の暑い中、大量に用意された真っ白なそうめんは竹の中をじゃんじゃん流れた。
3人の子供夫婦と8人の孫たちの歓声を聞いて、父はとても満足そうだった。



 自分の父親が癌になるとは夢にも思わなかった。
子供がどんどん成長していく速度で自分も周りも年をとっているのだ。

毎年同じように咲く花も去年と同じ花は一つもないことを実感する。

周りに起こる全てのことは、二度とないことなのだと思う。



「雨が降らずにみんな揃ってそうめん流しができてよかったね。」

父にそう言って

「来年もできるといいね。」という言葉はのみ込んだ。

まるで できないみたいだ。


人がどうして花を美しいと感じるのか

はかないもの、限りあるものを愛しいと感じるわけを

生きていくことで 少しずつわかっていくのだと思う。





































































































  


Posted by かりん at 00:17Comments(0)家族のこと